渡邉 玲子 開業物語

渡邉玲子
渡邉玲子

理事 渡邉玲子

 

株式会社 イマココ・クリエイト 代表取締役

一般社団法人ドゥーラ協会 認定産後ドゥーラ
公益社団法人東京都助産師会賛助会員 
同法人江東地区分会員

アシスタープロジェクト理事
ベビーマッサージ&ベビーヨーガインストラクター
中林病院助産師学院 地域母子保健非常勤講師

聖路加国際看護大学修士(地域看護学)卒。

 

 

私が開業した理由は、思春期からの関心事である「目の前の人の役に立つとはどういう事か。」の答え探しのためです。

以下、私の生い立ちと共に、開業までのお話をさせていただきます。

 

私は小学校教諭と僧侶の息子である父との間の四人きょうだいの末っ子として生まれました。一番上の兄は母が臨月の時、死産しています。

 

母は当時としては珍しいフルタイムママ。ベビーシッターを雇い育児休暇もなく仕事をしていましたが、私が当時できたばかりの無認可保育園に預けていた際に肺炎になりかけたいう事から母は退職し、その後は主婦ママとして子育てしていました。
母がミシンを踏む音を聞きながらお人形遊びをするのが私のお気に入りでした。


私が小学一年生時に母は小学校の非常勤養護教諭として再就職しました。

休日に母の保健室に遊びに行った時、生徒さん達の健康のために絵を書いたり整理整頓を工夫している姿が楽しそうでした。

 

中学時代・・・仲の良い友人から「授業ノート見せて」と言われた事がありました。その時、見せる事と見せずに真面目に授業を聞くようにいうのとどちらがこの子の為になるのかと悩みました。また、下校後の雑談の中では、親の離婚や予定外の妊娠、シンナー中毒など、様々な人生相談を受けていましたが、ある日「いつも話を聞いていてくれてありがとう。シンナー止められたよ!!」と言われ、私としては聞く事しかできなかったけど、この子の笑顔に繋がった事をとても嬉しく思いました。

 

高校時代・・・「父親が脳卒中後遺症のため大学進学を諦めざるを得ない。女は大学なんて行かなくていいと言われている。」と友人に泣きつかれた事がありました。私の母は食事の塩分にとても気をつけていましたが、その子は自分も高血圧であるにも関わらず、お弁当に高塩分の物を持って来ていました。それを見て、この子も父親と同じ道を歩むかもしれないと思い悲しく思いました。しかし、何もしてあげられない自分に不甲斐なさを感じました。


「目の前の人の役に立つという事はどういう事か。」

 

 

そんな命題に取り憑かれる中、国立大学に進んでいる兄姉を横目で見つつ、自分の生きる道を探すめために大学紹介を読み漁りました。
たまたま、おじが医師でしたので医療系も見ていたところ、聖路加看護大学の日野原重明先生が提唱する「全人的な看護」という言葉に惹かれました。また、当時先駆的だった聖路加国際病院の「
訪問看護」という働き方も知りました。
そこで、それを実践すべく聖路加看護大学に入学。聖路加国際病院(旧公衆衛生看護部)に就職しました。
慢性疾患で悩む方、末期ガンの方、産後間もない方など、様々な方とご家族からのお話の方を聞き生活指導や訪問看護を行っていました。

日々、この方々がもっと少しでも笑顔になるには、どうしたらいいのかを、ご本人とご家族と医師と話をしながら考え実践するとても楽しい日々でした。

 

しかし、私自身は、重度の内膜症で体調を崩しました。無事妊娠出産しましたが、体力のないまま育児に突入し「産後うつ」。

北欧での三人の子育てを経験する中では「出産」「育児」が「女性」や「こども」そして「家族」の心身の健康に様々な影響がある事を体感しました。そして、帰国後「産後女性や家族の役に立つとはどういう事か。」に関心持ち修士過程に進学。

「褥婦の産後支援者選択要因」を研究テーマとして選びました。

 

その中で、育児や家事の手段的支援者として期待できないと思いつつ、実母や夫を産後支援者として活用さぜるを得ない褥婦の実態、つまり、頼れる産後支援者が身近に居ない事が予想され、褥婦の心身の健康に役立つ産後支援者の育成に関心を持ちました。


卒業後、現状をさらに学ぶために、公的サービスである新生児訪問専門保健師として働きました。また、民間サービスとしてスタートしたばかりの「産後ドゥーラ」として働いたり、ボランテイアである「ホームスタート」のビジターとして産後の訪問支援を実践しました。

 

その結果、新生児訪問の場合は、公的サービスにつなぐという意味合いが強いこと、産後ドゥーラは「看護」では無い事、ボランティアでは「職業としては成りたない」と感じました。また、一人では限界があり仲間が必要である事も痛感しました。

 

そこで、民間として初めての看護職による産後ケア会社「株式会社イマココ・クリエイト」を2015年2月に設立。仲間とともに2018年3月は三期連続黒字決算を迎える予定です。

 

また、2016年8月には、NICU卒児と退院後生活支援の必要性を唱える聖路加国際病院の草川功先生と共に一般社団法人国際ナーシングドゥーラ協会」を設立。産後の訪問支援専門看護職「ナーシングドゥーラ®」の育成をスタートしています。2017年12月現在受講生は8名です。

 

「目の前の人の役に立つという事はどういう事か。」


看護を志している人は、この永遠なるテーマに日々対峙していると思います。

 保助看法第五条によれば、「看護師とは、厚生労働大臣の免許を受けて、傷病者若しくはじよく婦に対する療養上の世話又は診療の補助を行うことを業とする者をいう。」とされています。医師の指示が必要が無い、つまり、退院された方への「療養上の世話」は看護師が単独でかつ責任をもって行う事ができる看護師としての業務です。

 

また、命の始まり、家族の始まりである産後の女性の役にたつとはどういう事かを考え実践する日々は

「看護職にとって、目の前の人の役にたつとはどういう事か」いうとてつもなく大きな命題への答え探しにつながっています。

 

皆様にとってもそれぞれ「開業」を考えるきっかけがあると思います。

しかし、看護職が現状に疑問をもったり、新しい事に向かおうとする勇気自体が、現代の少子高齢社会における看護問題解決の閉塞感を突破する一つの光に、産後うつや虐待の予防のために小さな光になると思います。

 

あなたの勇気を地域で暮らす母子家族は待っています。

 

もっと。ずっと。笑顔に。 私とともに。いかがですか?